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解離性同一性障害に関する簡単な歴史

  • 1800年ごろから20世紀の初め頃まで→憑依や転生などのような超自然的原因だと一般に広まっていました。

  • 1880年頃から1920年代中ごろまでの間には生理学的な仮説がかつぎだされます(脳の機能している部分が明らかになった新発見から。ちなみに今でも感心を持つ人はいるようです)。

  • 1920年から1970年までの半世紀の間は報告例が激減しましたが、解離性同一性障害に対しての仮説ははいくつか出ています。これらの仮説は手直しをされつつ、現在も唱えられています。

  • 1984年代において、解離性障害の原因論は全て大きく変化しました。
    それは、解離性同一性障害を始めとする解離性障害の発生において心的外傷が重要視されるようになった事が大部分です。一部の例外を除けば、解離性障害の本性と病因についての現行の理論は全すべて、催眠感受性が心的外傷によって誘発された性質の物事である事を中心として展開されようとしています。

◆ちょっと詳しい歴史

百年かかってゆっくりと姿を現してきた、「児童期心的外傷と解離性障害の関係」。
解離性同一性障害の最初期の症例報告(1800年頃)は患者の行動にとどまっていて、原因について言及したものはありませんでした。

  • 1900年代に初頭以来、少数の症例報告には、解離性同一性障害の発症は親の死などの心的外傷となる人生体験があっての事ではないかと言う記述が出てきます。
  • 1926年、患者が性的虐待があったことを述べた最初の医師は、いかにもそれを信じていないと言いたげだったそうです。彼は、患者の話を「父に犯される近親姦幻覚症」だと考えました(酷い話です。おそらくは医師が信じたくなかったからこの結論に至ったのでしょうが)。
  • 1930年の別の医師の報告では、患者が”無意識においやった過去の苦痛な体験の抱えなおし”の段階で、父親による性的虐待の記憶をよみがえらせています。この記憶の真偽は、後に全く別のところから確認されたそうです。
  • 1944年にある二人の医師が、その周辺の年代の報告例をまとめた中で、解離性同一性障害の病因には「激しい葛藤」が関係しているだろうとは書いていますが、それ以上は踏み込んでいません。
  • 1970年代になってようやく、児童虐待が解離性障害の重大な発症因子であることがわかってきます。児童虐待が発症要因であろうと思われる報告が着実に増えていきました。

その後、DSM-Ⅲでは「Multiple Personaltiy(多重人格)」の項目が設けられ、
更にDSM-Ⅳではその概念がよりいっそう深められて「Dissociative Identity Disorder(解離性同一性障害)」として登場しました。

しかし、報告の急増、交代人格の多数化などに対して医原性を疑う声も強く残っています。

◆日本での解離性障害をニュースとして扱ったもの

1990年代後半 夕方のワイドショーで解離性同一性障害(”多重人格”として)の特集が多数組まれる

2007年8月 朝青龍が解離性障害とされる事件

2008年3月 東京都渋谷区・妹を殺害した罪に問われた20歳の男性が解離性障害と認められる

2012年2月 福岡市・幼なじみに暴行を加え傷害致死罪に問われた当時19歳の男性が解離性障害と認められる

2013年12月 佐賀県唐津市・いじめ犯を探す教師の執拗な追求のため、犯人を疑われた生徒が解離性障害になったとして損害賠償を求め、佐賀地裁が市に約1774万円の賠償を命じた。

暴力・殺害事件のあと解離性障害と結論付けられる例が多く、悲しいですね(T_T)


参考文献・引用[ 精神科治療学 第12巻 第9号 p1007-1015 関根 義夫 (1997年9月)
多重人格障害-その診断と治療- フランク・W・パトナム