私達は心的なショックに対し、

抑圧によって
心理的不安を感じる出来事を忘れたり、

否認によって
自分に不都合と思われる記憶を”もともとありもしないこと”にしたり、
本当は持っているネガティブな感情を”感じないように”することがあります。

どちらも過剰にならなければ、私達のメンタルを守る働きがあるものです。
健常者でも『高校時代のことはあまり覚えていない(→クラスメイトとうまく行かずストレスがあった時期だった)』
『両親は私に辛くあたることもあったが、食事を与えたり身の回りの世話をしてくれた(→傷ついた気持ちを否認しての発言)』
など一般的に見られるものです。

ua018

◆心的防衛機制の中の「抑圧(Repression)」

 フロイトが抑圧の語を「制止、症状、不安」という論文で”不安こそ抑圧の主な動因”と述べたのは1926年の事です。
抑圧は過去の歴史では、今とは違う使い方をされていたこともありましたが、このフロイトの定義から今日使われている抑圧の意味に近づく事になります。その意味は、「ある欲動と結びついた思考、イメージ、記憶を無意識の中に押し戻したり、無意識にとどめようとしたりする精神作用」というもので、なぜ抑圧が生じるかと言えば、「自身にとっては快感として感じられるようなある種の欲動充足が、一方で不快を誘発する恐れがある」からです。言ってしまえば葛藤ですね。

●例→その自身を”ある娘”とした場合、父親への愛着が母親の嫉妬や憎しみを誘発する恐れ(不安)があるというようなときに「抑圧」が働いて、娘は父を思慕するという思考や、父親に愛された情景(イメージ)や、それにまつわるさまざまな記憶を失います。
注意しなければならないのは、失うものはあくまでもイメージであって、情緒は無意識化できないことです。この情緒のエネルギーが自身の精神生活の中に漂って、夢、症状、錯誤行為などをもたらす時、これを「抑圧されたものの回帰」と言います。
抑圧そのものは病的なものではありません。

私達の意識は広大な無意識の海に浮かぶ豆腐のようにはかなく、限定されたものというのが精神分析学の考え方なのです。

d_dsc3

◆心的防衛機制の中の「否認(Verleugnung,denial)」

 否認とは、現実を意識しないようにする、あたかも、それが存在しないようにして精神生活を営むことを指す無意識レベルの心的防衛です。これは、ある物事を一面(現実)では受け入れながら、他面(想像的、空想的な自己愛的面)では、まるで幼児のようにこれを否認していることを指します。例えば、ウッディ・アレンの映画『マンハッタン』に出てくるニューヨーカーの作家は、10台の女子学生である愛人や、元妻だった女性や、その女性との間に生まれた子ども達や、新たな愛人である親友の妻といった複数の人物の前でカメレオンのように違った人物を演じながら生きています。
演じているくらいだから、ある程度まで意識はしている(知的には理解している)のでしょうが、この生活がいつの間にかそうなっていってしまったもので、変えように変えられない(彼の中の世界では、その現実が否認されている)と言う点では無意識的です。そして、この否認が生む不安が彼を悩ませ、彼を現実(仕事や恋愛)に没頭させています。

現代の、特に都市の生活では、このような否認と自己分割の中でのほうが暮らしやすいという事と、現代の社会に多重人格と診断されるものが増えている事との間には、何かしら関連がありそうな気がします。が、ここでは、こうした自己分割(※分割はSprlittingの意)が、ある種の人格(例えば分裂病気質人格障害や分裂気質)等にもみられるし、解離性同一性障害にも見られます。


関連文献:忘却と健忘の違い


参考文献:封印された叫び-心的外傷と記憶- 斉藤学