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そもそも何をトラウマと定義するのでしょうか

 私たちはこの世に一定の秩序と連続性を見出そうとしています。こうしたものが無いと、とても安心しては暮らせない。今日は昨日のようであった。明日も今日のようであるだろう。明日の景色も今日の景色のようであり、今日よいとされていることは、明日もまたよいことであるはずだという認識です。

 自然災害や事故はこうした日常の連続性を遮断し、人が生きるための大切な基盤である安全間にヒビを入れます。こうした体験をトラウマといいます。事故や災害だけが人の心を危険に曝すわけではありません。
むしろ他人からの攻撃や暴力の方が人の心に破壊的に働くでしょう。その典型は戦争で、事実、戦争は大勢の人々の心を破壊してきました。でも戦争の場合には、自分と同じような被害を受けている多数の犠牲者がいます。

 自分ひとりが、特定の他人からの攻撃を受ける状況では、トラウマは更に酷いものになりがちです。強盗や強姦の被害にあって自分が獲物のように扱われた時、私たちは被害の痛みのほかに、そのような被害の犠牲に遭ってしまう自分というものへの自信と肯定感も失うのです。
こうした事件に巻き込まれると、その悲惨な記憶はなかなか脳裏を離れません。忘れようと思っても忘れられない。平穏な生活の中にもこうした物騒な回想は無遠慮に入り込んできます。事件の時の恐怖はその後も続いて、安楽に寝ることも出来なくなります。そして親しかった人との関係もおかしくなって来る。
一緒に居ると楽しかった人からの誘いの電話がかかってきても、出たくない、話したくないと思ったりします。「しょせんあの人にはこんな私の苦しみなどわからない」などという考えにとらわれます。こうして次第に孤立していく。憂鬱な気分はいつまでも続いて、そのうちに周囲の人は「あの人はもともとああいう人だったんだ」などと考えるようになってきます。
こうしてひとつのトラウマが、一人の人の人生を支配し続けることも稀ではないのです。


参考文献:アダルト・チルドレンと家族 斉藤学