ua029

例えば『会社で役員が部長をなじり、部長が部下をいじめ、部下が家で妻をなじり、妻が子どもに当たり、子どもはその弟にあたり、弟は学校でクラスメイトのもっと弱そうな子どもをいじめる…』こんな連鎖が日本中で起きています。
そして最終的にいじめにあった子どもが自殺すると、報道では弟に加え学校側・先生の責任が問われ、また母親の責任が強く問われます。
悲しいことですが、この場合家庭の外にいる役員や部長の責任が問われることはありません。片親で父親しかいない・父親に明らかな暴力があったなどでない場合、父親も責任追求の的とはなりにくいのも現状です。

いじめの連鎖・虐待の連鎖にははっきりとした心理的メカニズムがあります。


ずっと被害やいじめに遭ってきた人は、いじめや被害を与える人、特にそれが親だったりすると、当の加害者には攻撃を向けません。向けられないのです。攻撃を向けると返り討ちにあいますから、もっと心と体が傷ついて痛いし、それ以上に、情緒的な依存対象でもある相手が自分を憎むようになっては寂しくてしようががないので、我慢をします。

そのかわり、その攻撃を、もっと弱いもの、安全なものへむけます。弱いものというのは、自分の小さい弟や妹、あるいはペットです。金魚やザリガニは殺しやすいけれど、慣れてくると、犬を殺し、猫をいじめます。自分のところの猫を殺してしまうと、近所の猫をねらったりする。

それから次に狙うのは、自分にとって優しい人、あるいは職業上、やさしくならなければならない人だと思っている相手です。たとえば、児童ケアの専門家・カウンセラーを、人が見ている前でいいようにいたぶります。優しそうな先生にも矛先を向けます。ですから、虐待された子供のケアは楽なものではありません。

これは別に珍しいことではありません。
外傷体験を持った人が、加害者に向けるべき怒りを、自分に好意を持つ人(安全な人)に向ける事を外傷性転移と言います。当初、怒りが噴出し始める時にその対象になるのは、依存や信頼を向ける相手です。この人ならわかってもらえる、あるいはわかってもらいたいという人に怒ります。怒れば反撃してきそうな人には、怒りを感じる前に恐怖してしまう人々なのです。


参考文献:斉藤学公演集<Ⅲ>心の傷の癒しと成長 斉藤学
封印された叫び-心的外傷と記憶- 斉藤学